1952年9月 (昭和27年) |
深沢貞造が山梨県石和町から上京し、写真植字機研究所よりA型写植機1台を導入して写真植字業を開業。(豊島区東池袋1丁目豊島公園近く) |
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1953年4月 | 港区西久保桜川町へ移転し、フカサワ・フォトタイプ社を起こす。 (モリサワ製手動写植機1台) |
1953年7月 | (朝鮮戦争休戦協定) |
1955年3月 | 有限会社技秀堂を設立。(資本金100万円) |
1961年10月 | 港区西新橋2丁目へ移転。(業容拡大) |
1967年12月 | 同地に4階建てのビル落成。(30坪の借地権) (東京で最大の手動写植機センター) |
1969年4月 | ㈱花グループを㈱東京印書館と共に設立。(資本金200万円) 東京印書館の技術陣とISハナマチック電算写植機を開発 日本で始めて写植機の電算化に道を開く |
1972年3月 | 株式会社技秀堂を営業部隊として別途設立。(資本金100万円) |
1972年5月 | (沖縄本土復帰) |
1972年7月 | 通産省構造改善事業承認により㈱花グループと共に、IS電算写植入力機100台と同出力機4台の体制を敷く。(日本で最初の光学式電算写植機の稼動) |
1978年4月 | 印刷部門として日暮里に技秀堂印刷㈱を設立。(資本金200万円) (荒川区西日暮里 2-3-1) |
1981年1月 | 人事労務体制の全面改革。(宗像章を招聘、社内改革開始) |
1982年6月 | 有限会社体制を組織変更して株式会社技秀堂に。 (技秀堂印刷㈱、GPクリエーション㈱とのグループ体制開始) |
1982年12月 | 四谷センター開設。(四谷4丁目、読売住宅案内生産体制確立を新聞社より要請され西独ヘル社製のDigset20TJ電算写植システムを導入、日本で2台目) (読売は拡大するリクルートの「週刊住宅情報」に対抗、黒柳徹子VS江川卓) |
1983年5月 | 神田支社設立。(内神田1丁目、読売新聞本社近くの読売住宅案内ビルに四谷センターを統合し、隣接する酒井ビルに渋谷NHK共同ビルから電算室を移動) (資本金2,000万円) |
1987年2月 | 読売住宅案内の廃刊に伴い社内体制の再編成。神田支社を閉鎖し西新橋の本社近くのK1ビルと渋谷NHK共同ビルに縮小吸収。 |
1987年5月 | 新橋本社建物の底地を中小公庫の融資により買取る。借地権から所有権へ。(バブル期で担保力急拡大) |
1987年11月 | 深沢貞造社長退任、代表取締役相談役に就任。 阿部啓二郎専務が代表取締役社長に就任。 代表取締役専務に深沢栄と宗像章就任。 |
1989年1月 | (昭和天皇崩御。平成へ) |
1989年11月 | (ベルリンの壁 崩壊) |
1990年9月 (平成2年) |
西日暮里2丁目に新社屋完成。(地上3階、地下2階、床面積 1,442㎡) 製造部門の全てを統合し、渋谷の電植センター、新橋の写植製版部門、 日暮里の印刷工場は閉鎖。 (IBMのAS/400導入で個別原価管理開始) |
1990年10月 | 渋谷NHK共同ビルにて㈱万栄との提携により映像事業の開始。(ビデオ制作) |
1991年6月 | MBOにより創業家から自立。株主と役員を一新。 (阿部社長、宗像専務体制をモリサワが全面支援) |
1991年9月 | 西日暮里5丁目の大橋ビルに営業部と総務部を移転。新橋本社は売却。 |
1991年12月 | (ソビエト連邦 崩壊) |
1992年3月 | 日本経済新聞社賞を受賞。(信金協議会連合会第5回表彰、斬新な印刷工場で) |
1992年12月 | 経営改善委員会発足。 |
1993年7月 | 中期経営計画発表会開催。 |
1993年11月 | 全部門を技秀堂ビルに収容し製販一体の体制へ。 |
1994年6月 | 第41期経営方針発表会を開催。(以後毎年開催) |
1997年~1998年 | (山一証券、三洋証券、拓銀、長銀、日債銀 破綻) |
1998年9月 | カラーDTP体制確立。 |
1999年5月 | インターネットサーバー設置、ホームページ開設。 |
1999年6月 | オンデマンド印刷機導入。(モノクロ、Docutech135) |
2000年12月 | カラーオンデマンド印刷機導入。(Color Docutech 60) |
2001年9月 | (米国同時多発テロ。ニューヨーク貿易センタービル崩壊) |
2002年2月 | ISO9001取得。 |
2002年4月 | CTPシステム導入。(PTR8600、True flowシステム) 全社フルデジタル体制確立。 |
2004年9月 | 宗像章専務が社長就任。阿部啓二郎社長は会長へ。 |
2005年6月 | 菊全判8色機導入。(アキヤマ機械) |
2006年3月 | CTP増設。(PTR8800) |
2008年1月 | ISMS取得。 |
2008年9月 | (リーマンショック) |
2009年9月 | 阿部啓二郎会長退任。高橋篤敬副社長による意識改革 |
2010年2月 | 組織改革。57期(2011/6)で業績が劇的改善。 |
2011年3月 | (東日本大震災。福島原発メルトダウン) |
2011年7月 | 経営理念、運営指針を全面改訂。5カ年計画発表。 |
2014年9月 | 一般社団法人健康マネジメント協会設立。健康ビジネス開始 |
2015年9月 | 運営管理システムをプリントサピエンスに全面変更。 就業規則と賃金体系を全面改訂(賃金は年俸制に移行)。 健康マネジメント協会が大橋ビルに移転。 |
2015年12月 | 健康マネジメント協会が初のセミナー開催(市ヶ谷私学会館)。 全国バス会社100社参加。(講師:国交省、日本バス協会、医師、顧客) |
2016年 | 組織大改革(人事異動激変) |
2016年12月 | 物流センター開設 |
2017年4月 | JPPS取得 |
2017年8月 | 第64期で決算日を6月から8月に変更 |
2017年9月 | アキヤマ菊全両面2色機導入。 本社隣地取得。隣地 57.91坪 の借地権を取得。(駐車場活用) |
2018年2月 | 学習する組織へ 社内セミナー開始。隔月継続実施。 |
2019年4月 | 物流センターに中綴じ製本機を導入。 (Horizon StitchLiner6000 16鞍) |
2019年5月 | (平成天皇退位。令和天皇即位。) |
2020年2月 | 得意先を招待しての中間発表会を初めて実施(兼講演会)(中小企業会館) |
2020年3月 | NeoGPシステムの試験運用開始 |
2020年4月 | (新型コロナウイルスによる緊急事態宣言の発令) 在宅テレワークの開始(営業部、総務部) |
2021年5月 | MBO以来30年間のモリサワ支援から完全卒業 |
2021年9月 | ㈲千明印刷の事業を吸収し、板橋工場として稼働開始。 カラーオンデマンド機を設備更新。 (Color1000 Press → Iridesse Production Press (Model-6C-C) |
2021年12月 | 技秀堂印刷㈱を完全子会社化 |
2022年2月 | (ロシアがウクライナ侵略) |
2022年9月 | 経営方針発表会を社内にて実施(兼講演会) |
2022年10月 | 税務申告業務の社内処理完結(税理士依頼せず) |
2022年11月 | 子会社の技秀堂印刷㈱の代表取締役交代 西野道明が代表取締役就任。宗像章代表取締役は取締役へ。 |
2023年6月 | 本社隣地取得 |
2024年1月 | 板橋工場に刷り出し検版システムを導入 |